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名刺出来ました☆彡

2026年06月15日

新しい名刺が出来ました。
電話番号重視で、QRコードはこのWEBのQRです。
1年前から判っては居ましたが、いよいよ行き場が無くなりました、、、自宅に戻る事になります。2度目の出戻りです。15年今の場所に事務所を構えて居りました。
地図や写真などは後刻アップします(今は散らかっていて映せないです)

2001yに前職(カーショップ勤務)を辞め、家具を造って居りました。自分の好きなMIDCENTURY風のデザイン家具です。35歳。馬鹿な若造です。
1980年代頃にはアメリカン・フィフティーズとか、1950年代風とか言われたアメリカのデザインです。1950年代にデザインや流行のムーブメントが重なったもので、音楽、デザイン、風潮までもが一気に変化し、大変革が起きます。車には大きな羽が生え、音楽はロックンロールが生まれます。プラスティック、曲木:プライウッド(学校の椅子の素材)等の加工技術が進んで、家具のデザインにも流線形(ストリームライン・ド・モダーン)デザインが取り入れられ易くなり、今までのデザインがこれらに乗っとられる事になります。ダンスはいままでの社交ダンスからツイストやジルバ、ワルツから8ビートのロックへの変化。それまでのアメリカの文化が、戦勝国と言う事と、景気の良さに後押しされてガラッと風潮が変わっていきます。ジェームス・ディーン、エルビス・プレスリー、マリリン・モンローなどもこの時代のスターです。
この大変革が起きる時の『音楽』から自分はのめり込み、デザインムーブメントも大好きになりました。

日本では遅れて昭和30年代後半から40年代(1963年頃)からです、ビートルズ来日、ヴェンチャーズ、ザ・ピーナッツ、パラダイスキング等の当時としてはニュー・ミュージックがリリースされ、その後のグループ・サウンズに続きます。フォークミュージックも好きな反面、脳天気?な明るい音楽も大好きな自分は、こちらになびいて行きます。と言っても自分は67年生まれですので、矢沢栄吉の居たCAROLが小学生になる頃、COOLSは中学に入る前、ブラックキャッツやハウンド・ドッグが丁度中坊世代です。ですから、先輩の聞いて居た音楽を聴いて影響を受けていたガキでした。クリームソーダとか、ペパーミントなどの服を着て頭はテカテカのリーゼントにしてね(笑)。。その20年後くらいの、1998年頃にまたミッドセンチュリーと言うムーブメントが来て、会社を辞めてそんな頃のデザインの家具を造れれば良いなと漠然と考えて居りました。このミッドセンチュリーはまさにガキの頃に愛したデザイン様式そのものでした。イームズのサイドシェル(チェア)やイサムノグチのコーヒーテーブルなどが名作中の名作です。96年頃からアジアン家具が来て、ミッドセンチュリーが来て、北欧が来ます。わずか1、2年で流行が変わり、2001年頃に自分がミッドセンチュリーのコピーを始めた時には既に最先端は北欧風に移って居りました。
考えてみると、50年代デザインの日本の始めは1965年頃、次は1980年代の初め頃、次は90年頃にちょっとリバイバルがあって、1998年頃にも大規模リバイバル。何度もリバイバルすると言う事は好きな人が多いんだと思います。雑誌社とか、お金持ちの金儲け作戦である事も間違いないのですが、、、



昭和25年。日本は真四角の汽車でした。アメリカはまさに流線形!!

その雑誌社の流行造りにまんまとやられて、、既に流行の去ったジャンルを求めて居た自分。ピエロでしたが、そのまま突き進み、インドネシアで家具を十数点造らせます。自分のオリジナルデザインもコピー品も造らせました。
これを国内に輸入し、販売と成りました。しかし傷物(ガラスは傷だらけ)やサイズ(50個作らせると最初と最後は別物になります)、造りのアバウトさに悩まされ、2年弱で家具屋を辞め、いえ、資金に詰まりまして続行不可能となります。で、元々居た業界に舞いもどる事になります。しかしながら、カーショップの仕事をそのまま続けるのでは、辞めた意味が有りませんので、屋号はそのまま、STREAMLINEでアメ車弄りを始めました。(まだこの頃は再起を狙って居たものです)その当時沢山いたシボレー・アストロ専門の電装屋でした。。毎日3台づつアストロにスターターを付けてました。借金で首が廻らない状態でしたが、僅か3か月後には借金の繰り上げ返済が出来るほどに儲かりました。月に利益で300万も有りましたから、、、(1日20時間、100日間休み無しです、爆)
2002年のお盆頃から始めて、年末には出来た!やった!!的な気分で居ました。でもね、、リモコンスターターって春になると売れないんです。北海道ではね。。冬場に繰り上げ返済出来ても、春からまた借り入れが嵩む。で、本州とカーセキュリティに活路を求めます。車種もベンツVクラス、ダッジ・マグナム、ハマーH2、H3、クラスら―ボイジャーなど、ネット上のオーナーズクラブに訳を話して、使って貰える事になり、2010y頃には1500万のキャッシングが無くなります。実に8年掛りましたが、遣れば出来ると言う自信に繋がりました。(39.5%とかの利息でしたからね~)
鉄砲玉(流線形)は何処まででも行くと言う自虐的な意味で、伊予曲折を経て電装屋の屋号となります。これが今のSTREAMLINEです。元々は『家具屋』だったんです。

家具屋から電装屋に転身した弊社は全国に沢山のVIP客が居て、引く手数多の幸せなメカニックでした。だからその頃のお客さんから、今声が掛ると喜んで何処へでも行きます(嬉)20年来のお付き合いだもの!!
金を惜しんで週5日は健康ランド。2日は疲れが取れないので安ホテル。それで1クール40日とか北海道を離れてました。ガソリン代15~20万/月、ETC料金15万。年間10万キロ走行。20万キロとか30万キロの車に治しながら乗ってました、、
雨が降ればビニールシートを上手に車の屋根に張り、その下で作業します。何処へでも走って行って、車で100Wを造って電気を入れてその場でハンダ付けの作業します。『ルンペラーズ』(ルンペン)と言う屋号に変更しようかと悩みましたわ(笑)。でもお金も心も満たされて居て幸せな時期でした。今でも懐かしく思います。それを辞めたのではありません。需要が無く(少なく)なったのです。
05年の熊本アネハ事件(耐震偽装建築問題、九州のVIPは建築屋さんが多かった)、08年リーマンショック、09年群馬八ッ場ダム建築停止(土建屋さんの社長でVIPが居られました)、11年東日本大震災(東北の得意先に行けません、、)など、当社のスタートダッシュ時期の2006ー2012年頃までに日本は揺れ動きます。全てが逆風でした。
それでも東日本大震災の後に東北で特需もあり、弊社は本当に負債が減り、胸を張って会社と言えた時代です。しかし幸せは5年続かず、得意先の消失、主要販売先の仕入れ事情が変わったりして、その後の19年コロナではまさにトドメを刺された感が有りました、、(付ける車が生産出来ないのです)。コロナ融資金500万、持続化給付金100万。あっと言う間に無くなりました。部下に給料払うと自分のは一切出ない程に月商が下がり、毎日掃除と言うのが続きました。部下には申し訳ありませんが21年に辞めて頂きました。。。
今は為替とウクライナとイランが逆風と成っています。今年正月から、はっきり月商が下がっています。今は耐えて隠れるように個人事業を営んで居ます。年商も平均で35%は低下しました。でもね、愚痴ってもしようが有りませんわね~♪今は年商を元のレベルに戻そうとか利益を上げようとか考えてません。喰えれば良い的な守りの姿勢になって居ります。


何年家の前で作業したんだろう?6、7年かな?その後、東苗穂のBMWの横に1年、丘珠空港の正門の横に1年、その後1年自宅前、で、今まで居た場所に15年。また自宅に戻ります。昔遣れた事が今出来ない訳が有りません。背の高い車が入らないガレージですので、冬場は外で寒いんですが、暖の取り方も、寒い状態での根性の出し方も心得てます(笑)最後の5年は自宅で頑張ろうと思います。(イチジカン ソトデスワッテタラ タチアガレナイヨ,,,)
皆様の更なる応援をお待ちして居ります!!頑張ります!!