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墓参り

2023年08月16日

8/14、15。久々に連休を頂きました。

墓参りに毎年行ってますが、当家の妻の家系は札幌市南区の某有名墓所に親類縁者が皆さまお眠りに。で、自分の家系は厚田の有名墓所。自分の母の家系は創価学会の熱心な信者でして、一族郎党 皆、学会の墓苑に眠るのです。
14に南区、15に厚田と毎年2日を割割いたのですが、これが中々大変でして、自分の死後に我が子らに強制する事が出来そうにありません。
自分は信心を持って居りませんから(後で記述します)何処に入れて頂いても結構なんですが、母と父は厚田です。すると自分の子供達は、自分が厚田に入らないとあそこ迄行きません。長男の自分は必然的に厚田に入らなければ活けません。そうしないと、子供らの祖父、祖母などは誰も手を合せなくなるからです。妻は死後に南区の墓所に入って貰わねば活けないのです。

自分の出生は、父方が浄土宗の檀家総代を務める家系です。対して母方は創価学会でして、間に生まれた自分は手を合わす事を、物心付いた時にしませんでした。神様は1神とは言いませんが、念仏だって南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経を1つの口で両方唱えるのは子供ながらに可笑しいと思って育ちます。逆に何にでも手を合わす、十字を切る方が良かったです。(多くの日本人はこちらです、羨ましかったです)
大人になるにつれ、その摩擦を大きく感じながら思春期を過ごし、誰の中にも神様、仏様が居るのも気が付きます。だって、葬式では手を合わせ、神社では手を叩くでしょう?それって仏教的に言ったら悪ですし、神道的に言ったら良しなんですよね、、、神道は余り規制しないのです。でも仏教同士は対立し喧嘩し、信徒の取り合いをし、果てには戦闘行為までした過去があります。勿論、今の世の中でそんな事はありませんよ、、過去の噺です。自分、北海学園大学で宗教学を専攻しました(200人教室に10人位しか居ない不人気学科)ので、普通の方よりは色々知って居るかも?しれません。

だから自分の中の神は自分と決めて何処にも手を合わさずに過ごしました。勿論死者に手を合わす、その方の拝んだ神様の念仏を唱える事は躊躇しませんし、幾らでも唱えます。
しかし、自分は何を信じるの?何を心の拠り所にするの?と聞かれたら無しと答えています。ひたすら自分を信じて、失敗して、成功を夢見るのです。それも辛い事かもしれませんね、、でも今更何処にも信仰を置けません。父や母が枕元に立ちますわ!ww(立っても良いけど)

父は生前、母の宗教を良くは言いませんでした。しかし死ぬ間際に何処に入りたいと聞くと厚田は自分の建てた墓だ、母さんと並べて欲しいと言って逝きました。死んで宗教上の和解か、、と思ってましたが、父が折れるのを初めて見ましたね、、判った、並べるヨ。。(ずっと前から和解していたのかも知れませんが、、謎)

その両親の眠る厚田の墓所ですが、自分が相続者になってまして、やはり自分も入らねばなりません。妻、子供らには申し訳ないですが、遠路墓参りを強います、今から詫びて居ります、、

お盆に故人を、先人を思い浮かべて手を合わす、その日だけで良いんです。何時も供養する事は必要ないと思います。人の心に根差す素敵な想いですよね。。。

チーン。。