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それほどでもないぞ、、、

2021年12月20日

繁忙期の筈がそれほどでもありませんね。。困

例年ならば朝は5時から夜の0時、1時頃まで飯以外はみっちりやってますが、今年はそれほどの事は有りません。不発ではないのですが、死を予感するような(笑)激務は無いです。そこそこ体調も良いですわ。。
ただ、今年は脚が痛くて杖を突いて出掛けて居ります。左の足首と右の膝がどちらも痛いです。会社では突きませんが出張先の繁華街ではお爺ちゃんです。。。

この脚ですが、1995年に交通事故に遭いまして、相手の飲酒の居眠りで自分の路側帯で衝突してますので100ゼロです。左はヒザ下で切断、右は鼠径部(つまり大腿骨全部)から切断と診断された脚なんです。まあ、内臓にも損傷もあり、初診の診断書は500項目以上の病名が記載され、10個程の致命的な損傷も有りました。そのほぼ全てが今は無いと同じなのですが、脚だけはすり減るモノですね、、、

手術後には、右脚はおちんちんの右には何も無い。左脚はヒザ下が無い。ICUで目が覚めて、個室に移ったその日に整形外科の医師に宣告されましてね、、当時25歳でスポーツこそやってませんが、そこそこアクティブな自分はお先真っ暗でして、何日考えても覚悟は付かず、手術の承諾書にサインは出来ません。前日の夜になって医師が個室に入って来てサインとせがむのですが、病院を換える、明日ここから出ると言って困らせると、切断しない方向で考えると言う事になって未だに付いている居るのです。絶対に腐る(化膿する、骨髄炎に成る)、痛みで歩ける事は無いだろうと言われてまして、そんな経緯が有りましたからリハビリにも力が入りまして、その後10か月後に歩行訓練が始まったら狂ったように歩いてましたわ(笑。)

今まで自分を乗せて30年間、様々な国と、国内でも離島を除く全ての地区を歩き、喜びも苦しみも全て分かち合った2脚です。両下肢と言うのかな?本当にお疲れ様です。粗末にして良い部位など体の中には有りません。髪の毛、爪等も要らない訳では無いのです。五体満足な事の喜びは、普通に生まれて来た自分には判りませんでしたが、車椅子に10か月、その後の松葉杖が1年弱、1本杖は時々持ってました。1995年の事故から2001年に会社を辞める迄の7年間の3年は病院で暮らしています。障害者の苦しみや、交通インフラの遅れなどはその時に沢山感じました。歩道は車道に向かって若干の傾斜があります。水はけの為ですが、普段暮らしていて判りませんよね?でも車椅子、杖ではそれがはっきり判ります。障害者トイレの造りも、今でも時々使って、駄目だなこりゃ★と感じます。自分は本当は代議士になるか、厚労省か国交省に勤めれば良かったんだなと今も思います。
もし今からでもそういう方面の仕事が出来るならば進んでみたいとも思います。ユニバーサルデザインと言うんでしょうかね?使う人の目線にたった物造りの事?今の仕事でね、配線の色が見えないんですよ。。色弱なんですわ、、茶と赤、桃と灰、緑と赤。なんでそんな色目のコンビネーションを使うんでしょうね?色弱で無いエンジニアが造るからそうなる。色弱にやらせるとそうなりません。自分が見えないから。。道路もトイレも障害者に遣らせるとそうなりませんよね?自分が困るんだもん。

棺桶迄は絶対に付いて来てくれない、、覚悟しておかなきゃ。。。独り言です。